放課後等デイサービスを使い尽くそう。

保護者様と話をしていると、もちろんお叱りを受ける時もあるけど

お褒めの言葉を頂くこともあります。

中には「え?面談してくださるんですね!」と驚かれる方もいるのだが、私は「え?」と思う。

この放課後等デイサービスや児童発達支援では

半年以内に1回の面談が義務付けられているのだけど

していない施設が有るのか。

2010年に出来た事業なので、保護者様もサービスを分かっていない部分や

複数の施設を併用していて、「施設Aでは〇〇だけど施設Bでは〇〇なのはなんで?」と思われる人も居る。

法令で定められている部分は統一なのだけども、この仕事自体が受給者証を所有した方の利用でありながらも「個人塾」かのような認識でいらっしゃる人も多く居て、「あぁ、この施設はこうなんだなぁ」で済んでいるケースも見られたりもする。

また、現在は放課後等デイサービスが多くなって来てジャンルが様々で選べないと言う人も多く居ます。

最低限の条件を絞って決めていけたら良いでしょう。

声を大にして言いたい。

悪徳業者に貴重な子どもの時間を奪われてはいけません。

法令を知らないで運営している、預かってるだけのいい加減な所は結論行かない方が良いと思います。

いくなら、「学校内の学童」で十分になってしまいます。

何故なら、根幹でいい加減なら全てがいい加減になる可能性が高いからです。

なので、下記に良い施設だと思う条件を4つに絞って超独断と偏見で条件をお示ししますので、是非ご参考にしてください。

① 職員数が毎日4名以上居る。(調べられるかは微妙だけど、子どもに聞けたら聞いた方が良い)

理由:4名以上?少なくない?と思われるかもしれませんが、無論、職員が多い方が良いと考えるのが当然

しかし、限られた空間内に大人が多すぎるのも子ども達にとっては自分のパーソナルエリアの保持が難しくなってしまって苦痛に感じる子が居るのも事実であったり、マンツーマンで支援が必要な子や身体介助が必要な子の人数などで微調整が正しく行われる必要があります。最低でも4人以上の先生が欲しい所。

② 本日の子どもの様子を的確に答えられる

理由:的確というのは「具体的に何をどうしたのか」を答えられるという事です。

悪い例「今日も元気でした~」

良い例「今日は〇〇をした時、〇〇出来ました。」

というのも、「元気でした」「聞いてました」「楽しみました」「喜んでいました」などの言葉は事実なのか分からないし、本人に聞くと「え?」となる場合も今までありました。

連絡帳に書いてある内容と本人の感想が一致していないと言われてしまう事も多々ありました。

ずっと抽象論で話す人が多いのであれば具体的な質問などをしてみると良いですね。

上記の言葉も下記の様に

「公園で鬼ごっこをして数名捕まえたりして元気な様子でした」

「活動の説明をして、本人に活動に参加してもらったら説明通りの手順で行えたので凄いと思います」

「先生と戦いごっこをして、〇〇キック!と必殺技の名前を言って遊んで楽しみました。」

「お勉強のプリント全部やって、先生から褒められて(やった!)と喜びました」

という内容であれば良いでしょう。

本児が何をどうしたのか答えられる先生が一定数いる施設は子供の様子に興味を持って接してくれている人が多く良い施設だなと思います。

しかし、表現するのが上手くない先生もいるのでは?と思われるかもしれませんが

表現する事が苦手な先生が運営側にキチンとフォローされている状態であるとか、緊張が解けて徐々に改善しているとか、具体的に質問すれば答えられるなどであれば問題ないでしょう。

③ 個別支援計画が具体的である。

個別支援計画に書かれている内容が、誰がどう見ても明確な場合はしっかりした施設だと思います。

②にも関連するのですが、目標が「楽しめる」とか「過ごせる」とか「仲良くできる」というものであれば

もはや、親御さんの印象は評価対象でないどころか、評価する人の独断で達成かどうか決められます。

しかし、「2語文以上を話す」とか「2桁の足し算を出来るようになる」とかの目標であれば

誰がどう見ても達成かどうかが明確で印象論で逃げない決意を感じますね。

中にはそういった志がある児童発達支援管理責任者も居るのですが、会社の方針でやむを得ず出来ない場合もあるので児童発達支援管理責任者と話せるならどういった意図があるか聞けたら良いですね。

④ 療育内容と効果を説明できる。

よくチェーン施設で有りがちなのが「〇〇メソッド」「〇〇式療育」と謳っていますが

職員間でその手法や効能を理解して行えているのであれば良いのですが

たまぁ~~~~に、何故これをする必要があるのか分かりませんって人も居ます。

それが一人二人ならいいのですが、多数の人が理解していない場合だと害悪です。

何故なら、療育のゴール地点が違う人や方法やルールが変わってしまえば子供の理解が半減以上します。

「〇〇をするには〇〇すればいいんだ」という子供の発見は統一された条件下で行われており

療育で導くには理解している人が行わないといけないのです。

企業内で研修をする場合もあるのですが、残念なことに研修をしている人自体が分かってない研修も存在するので、きちんと施設で行われている療育等を説明し効果を出せる施設は良い施設だなと思います。

放課後等デイサービスにはどんな職員がいるの?

2010年代頃は様々な人がいた。

何か所か施設を構える会社に居ると職場には様々なバックボーンがある人たちがいた。

調理師、美容師、自営業、教師、主婦、銀行員、建設関係などなどまだまだ上げたらキリがない。

私が子どもの頃って「将来の夢は何?」みたいな話を聞かれて答えるって授業があったが

その頃は、みんなその職業を目指して今があると思っていた。

「先生」を目指した人が「先生」になって、「パン屋」を目指した人が「パン屋」をすると思っていた。

社会に出ると案外違うもので、皆、それぞれの業種に流れてやってきている事が多いし、放デイも例外じゃない。

私自身も、新卒の頃の職業も目指したわけではなかったし、放デイも流れ着いたのかもしれない。

将来の夢を達成した人は何人いるんだろうか。

達成できた人を尊敬する。

まだ、成熟していない時期から「自分はこの仕事をしたい」と決めて進んできたんだから。

小学生の頃の将来の夢は時とともに変化したり、大人になってから考え方が変化したりするもので

私も多くの心変わりがあったり、色んな人に出会ったり縁があったりでこの仕事をしている。

現在の放デイはある一定の児童関連の職務経験や資格要件が厳格化してきたのもあり

放デイに3年以上働いてる人とか、だいたい似た感じの業種をした人たちが殆どになって来て

パートで働いてる人も資格持ちの人が基本となりつつある。

最近では、スタッフジャンパーやポロシャツなどを作っている施設や、会社のロゴを車に貼って居たり

かなり、変わってきている。

指導員がエプロンを付けている施設もある。

私は、とある地方で放課後等デイサービスをしてきた経験があるけど

2010年代当時は、社長の知り合いが殆どの施設で、それも入れ替わりも激しかったけど

ごく普通の大人が迎え入れてる施設という感覚だった。

「はいは~い、おかえり~」とおばちゃんが子ども達を受け入れて。

おっちゃん的な人が「お~、学校どうだ?」みたいな感じの

私はどちらかというとそういった知り合いの家に来たような雰囲気の施設が好きだったりする。

子ども達も「〇〇さ~ん」と話しかけてて「がははは」というおじさんの笑い声や

「ちょっと~手を洗いなさい!」と注意しているおばさんの聞こえる声が凄く居心地が良かった。

若い職員は若い職員で「え~学校でそんな事あったんだぁ?」と近所の兄ちゃん姉ちゃんと話している感じだったし、子ども達も今日有った面白い事を話していたりする。

もう、令和の放課後等デイサービスは違う。

大手のチェーンはたぶん、「就業規則」と「社内ルール」がしっかり整っていて

職員も「町の大人」的な感じの人ではなくて「洗練された教育を受けた人」に置き換わりつつある。

この10年以上で非常に変わって来た。

子どもにも敬語を使う、子どもに「さん付け」をきちんとする、「こら!」とか怒らない

2010年代にはまだ放課後等デイサービスはそういった認識が主流ではなかった。

私自身が「一般人」に見えるのか「子供関連に従事してそうな人」に見えるのか分からないけど

私は10年以上同じスタンスで働いている。

子どもとふざけてる人だ。

今日も周りがドン引きするくらいふざけようと思う。

子ども達が子どもとして失敗出来たり甘えたり騒ぎまくるのは今しかない

今この瞬間ふざけないと大人になったらふざけられないかもよ?

今日も私は子どもとふざけよう。

大人の喧嘩、子どもの喧嘩

たまに起きるこの現象。「喧嘩」

この喧嘩については、口げんかから、取っ組み合いまである。

いや、この二つしかないか?

大人から見れば、なんて事も無い理由で喧嘩が始まり「アホ」とか「クソ」的な言葉でも

子ども同士だと、瞬間的に爆発を生む言葉であったりする。

理論的な口げんかをするのは中学生あたりなのだろうか

「お前が〇〇だから、〇〇になるだろ!」「いや、まず〇〇だと、〇〇になるだろ!」みたいな

中学生くらいになると取っ組み合いになると止めるのが大変。

小学生でも大きい子の場合は大変だった。

それに、喧嘩が始まると恐がる子もいるので、そっちのフォローもいていく。

仲裁に入る職員によって止め方が違う。

「こらやめんか!」といって取っ組み合いは止めるが、口げんかを止めないパターン

「何があったの?説明して!」と言って取っ組み合いは止めれないけど声掛けして説明を求めていくパターン

「もうどっちも黙りなさい!」と言って口げんかの時点で阻止する人などなど

口だけなのか手が出るかにもよるのだが、大人でも対応が様々。

※たぶん、現在の放課後等デイサービスでは施設内暴力においての対応方針が決まっている所もある。

でも、マニュアルがしっかりしている大手だけかもしれないが。

私はどうしていたか。

口げんかの時点で阻止するタイプであった。

雰囲気で、悪口チックな内容になってきたら踊っていた。

その当時は、Youtube志村けんを見ている子が何人かいて、「変なおじさんダンス」が施設内で

少し流行っていた。(変な流行りw)

なので、悪口チックになったら「変なおじさんダンス」を踊ったら子どもも真似して悪口チックな雰囲気も

一気に大量の「変な子どもダンス」になって意識がダンスに集中する。

志村けんが好きではない子だった場合でも、周りが変なダンスをすると怒りが薄れていく。

日本人も少し、ラテンのノリでダンスや音楽を楽しむ国民性に見習うと良いかもしれない。

自称「クラブ行ってます」的な人は本当に音楽やダンスが好きなわけじゃないだろう。

具体的な「相手に求める内容が無い」口げんかの場合は大抵これでいける。

しかし、「相手に求める内容の有る」口げんかの場合は解決していないと続くので

その場合はモノマネアドバイスしたり、替え歌でアドバイスする。

例えば、その子の好きな芸人を把握してたら、その芸人のモノマネをしながらアドバイスをする。

その子の好きな歌を把握していたら、替え歌にして伝えたりする。

読んでいる人は「え?」って思うかもしれないが

Freestyleという即興でラップをしてエグい悪口を言い合う競技があるのだが

それに比べたら全然リズムもテンポも遅くてやりやすい。むしろ、テンポは自由に変えれる。

しかし、勝率は100%でもないが、7割は越えていたと思う。

取っ組み合いの場合は、もう、二度と人を殴ってはいけないと思う位に遊ぶ時間も中止して

その子の年齢や理解力なども考慮しながらこんこんと説明をする。

中学生くらいの子には

「ムカついたら殴っていい世界があったとして、君がそこに住んだらあの子以上に酷い目にあうと思わない?」的な話をしていた気がする。ひろゆきか!?って思われそう。

良い方法なのか分からない、けれども伝えないといけない事だから伝える事は伝える。

そして、親御様への報告とこちらの対応を説明し、詳細を聞かれる場合は答えるようにする。

大抵の親御様は「相手にケガが無いのであれば良かったです」とおっしゃられたりする。

そこは、こちらも理解に感謝して、以後注意して見ていく。

そして、別の日には、当事者同士で一緒に遊んだりおやつを食べたりしている。

「つまらない事で喧嘩するのが子ども」と思っていたのだけど次の日には「仲直り出来る能力がある」と思った。

子どもの頃って仲直りはやかったなぁ。

なんでだろうとずっと考えていた。

大人になると、子どもの頃に傷ついていた言葉で傷つかなくなっただけじゃないんだろう。

きっと、ボキャブラリーのまだ少ない子どもにとって友達に対する「アホ!」という言葉も

翻訳機で聞くと、きっと「何故、悲しい気持ちわかってくれないの!」というメッセージであり

そのメッセージがなんとなく分かるのが大人なのだろうし、その言葉の意味合いとしても

「対象者である【本人】に対しての直接的な人格批判」ではなく、子供同士もスラングという認識で

馬鹿にされた爆発力があっても致命傷を負わせる程でないので後を引きずらないのかもしれない。

「アホ」という言葉は汚い言葉と扱われるので、発する事自体が悪者になる言葉として大人になると嫌煙されてきて大人の喧嘩は「アホ」とか「クソ」とか言わない。

※言う人も世の中にはいるのかもしれないが

大人の喧嘩は別だ。

直接的な悪口だと予測される言葉を一切使わずに、目の前に居る相手にどういった声掛けをすると傷つくのかをよく研究し尽くして悪気無い雰囲気で傷つける技術が備わってしまう人も居る。

その言葉の真意を聞かれても「そのつもりはなかった」と説明がつく程度の範囲で陰湿なことが出来る。

そして、「汚い言葉」はないのかもしれないが、大人の喧嘩は修復が不可能になる程の致命傷になる場合がある。

子どもの頃に言われた大人の言葉が思い出される「若いうちに失敗をしな」

子どものうちに「言葉」の意味や威力、相手を傷つける経験や喜ばせる経験をいっぱいして来てから

大人にならないと、相手の気持ちへの想像力が育たなかったんだなと思う。

お昼事情

一昔前、とある保育園の方針で「お弁当に冷凍食品を持ってきてはいけない」というものがあった。

 愛情弁当という言葉がある様で、手作りで愛情を込めるお弁当を食べるのが良いのだろう。

これには賛否両論あったのだけども、確かに、お母さんの握ってくれた「おにぎり」は最強だと思う。昔を思い出しておにぎりが食べたくなる。

卵焼きは欠かせないおかずだった。

反面、最近のカップヌードルも最強に上手いのは認めよう。

お弁当にカップヌードルとおにぎりを持ってくる子も居た。

別の子は家に迎えに行った時点でお母さんがお金を渡してくれて

「はい、〇〇君、先生にお願いして」と言い出す。子どもが何を言いだすかと思えば

「〇〇マートの塩カルビ弁当を買ってください!!!!」と元気よく言う。

とあるコンビニの美味しい弁当らしい。

「はい、わかりました!〇〇ちゃんと、〇〇君を迎えに行った後に〇〇マート寄ろう」

といったらニコっと笑って車に乗った。

大多数の子ども達は、自宅で用意されたお弁当を持ってきている。

どの子ども達の持ってくるお弁当はとても美味しそう。

おみくじ付きのグラタンを毎回持ってきて楽しみに食べ終えて皿の底に印字されている

おみくじを読んで笑っている子も見かけたり

 おいしそうなミートボールを上手にフォークを使って食べている子が居たりしたが

そのミートボールが冷凍なのかどうか定かでない。

お弁当の中を見て単純に「美味しそうだなぁ。」って思っている自分が居た。

考え方は色々あって、親御様の子供への手間の掛け方で家庭状況を観察すると言う方針もあるんだろうなと思う。

私は学校が給食だったし、お母さんのお弁当を食べる機会は遠足か運動会だったから

お母さんのお弁当はレアだったし、楽しい日に食べる物だから尚更おいしかった。

きっと、今、大人になった人や人生のベテランの人たちはそういった

思い出を今の子ども達に教えてあげたいと言う気持ちもあるのかもしれない。

私も、大きな手作りおにぎりを頬張る子どもを見ていると幸せな気分になって

さぞ、旨かろうと微笑んでしまう。

でも、食レポの様にカップ麺をススって「ほら、辛いの入ってるけど食べれるよ」とモグモグさせて

食べている子もまた微笑ましかったりする。

大人のノスタルジーは、時代も文化も変わって行って、きっと君たちが大人になって誰かのお世話をする時

「そうか、今の子ども達は固形のおみくじ付き栄養サプリメントがご飯なんだね」となっているのかな?

そして、老人となった私が「けしからん!おにぎり食べなさい」とでも言っているのだろうか。

もしかしたら、「はははは、ステラ社が開発したスペースX弁当は旨いなぁ」と言ってるのかもしれない。

先生はお仕事何してるの?

私は特に教員免許は持っていない。

当然教育実習的な何かを受けていない。

それでも、施設ではこう言われる。

先生

施設によっては呼び方や、職員を

(さん付け)だったりもする。

私の務めるところは先生だ。

教育といえば文部科学省なのだが

管轄は厚生労働省

世間では指導員という認識なのだが

先生と呼ばれることに、くすぐったさがある。

私のような人間が先生と呼ばれて良いのか?

だって、子どもたちから

「先生お仕事何してる人?」と言われるくらい

施設で遊んでる人だよ?

この仕事は様々なことを考えさせてくれる。

今までの仕事の中で一番考えるだろう。

接客やサービスは瞬発力と想像力が必要だ。

その瞬間に判断して適切な方法をとって

その日会ったばかりの人のニーズをなんとなく探り

満たすことに集中する。

この業界はどちらかというとノルマが命だ。

でも、放課後等デイサービスは言うなれば

子供の人生や今後の未来に関係する仕事であって

その判断は、親御様や学校の先生、他の職員や協議会などなどの思惑も考慮していくし、一人分考えるのに時間が必要なのに利用者数十人分だと時間が足らなくなる。

営業マンは数字命

飲食店は味が命の場合もあるが、最近は見栄えやプロモーションという動きもある。

放課後等デイサービス命って多岐にわたる。

療育命な施設もあるし

逆に療育は要らないという施設もあるし

ぶっちゃけ、売上命の会社もある。

殆どが零細企業がやる事業だから

正社員10人以下の会社の場合は社長命もある。

私は本人(利用者)の幸せが命だと良いと思う。

これ難しい。

バランスも大事

施設運営にはお金も必要

その人の幸せな空間は誰かの不快になるかもしれない

だから、誰も犠牲にしない工夫が必要

さらには、親御様とのヒヤリングをしていって

家族の意向も大事になってくる。

本人の幸せ命といっても、目的やゴールが

違うメンバーや社長の意向も必要となる

何故なら1人の力で達成できない課題が多いから

協力を仰いだり

学校や多事業所と連携が必要な場合もある。

もっと言えば、何が幸せなのかの答えは不明。

それを言ったら何も出来ない?

いや、やるんです。

子どもたちにチャレンジを求めるのであれば

私が何個も答えを用意するから。

「先生がんばるよ」

昔、子どもだった君に言いたい事

子どもたちを学校に迎えに行き

施設に到着した。

連絡帳にはプリントが挟まっていた。

連絡帳を読むと

「プリント2枚宿題です。やらせてください、字が丁寧でなければ書き直させてください」

と書いてあった。

おやつを食べた後に声かけをする。

なかなかお茶目な返答を頂いた。

「やりません」

私が子供の頃は勉強やりなさい的な言葉の後に

「やりません」って選択肢は存在しなかった。

なかなかハッキリ言うからびっくりした。

「プリント今やったら後ラクになるよ」

それでも、決意が固かった。岩です。岩

そして、魔法の言葉がけを喰らった。

「あとでやる」

そう、私はその魔法の言葉がけで

後でやるんだなぁ。分かってくれたと思った。

しかし、そんなに甘くない。

帰り間際までやらないので

せめて一枚だけでもとねばって

一枚してくれた。

心の中で

なんでプリントやんないんだ!

と思った瞬間思い出した。

私は子供の頃宿題やらない子だった。

大人になって人様の子に「宿題やりなさい」的な

なかなかアカデミックな事を言ってしまってるが

当の本人はなんて棚上げしているのだろうか。

子供の頃の自分に伝えたい。

宿題やらないとドラえもん見れません、とでも。

なんでそんなことするんだろ?

物を一列に並べたり

くるくるまわったり

唐突なダッシュ

 

子ども達の心の中はみえないけど、きっと何かあるんだろうなと考える事がある。

 

私たちも共通するのかもしれないが、行動には理由があったりするものであってご飯食べる理由は

「お腹すいた」なのか

「食べなさいと言われたから」なのか

「習慣が固定化されて食事を済まさないとお風呂に入る等の次の行動ができない」

など、理由があったものから無意識にやっているに変わる時もあるかもしれない。

 

だから、目の前でご飯を食べてる子がどの理由に該当しているのかは分からないけど。

何かしらの理由で食べているのは理解できる。

 

私がごはんを食べる理由は 夜にご飯食べるのが当たり前になったからなのかもしれない。

 

日によっては特にお腹空いてない時もあったりするけど、なんとなく食べたりする。

 

ご飯を作ってもらえる子ども達にとっては、「ごはんよー」と呼ばれて目の前に出されたら「食べるもの」と認識してたべるのがほとんどなのかもしれない。

 

でも、きっと、なんで人は夜ご飯を食べるのかなんて理由を考える人はわずかであって

ほとんどの人は無意識に食べている人がおおいのかもしれない。

 

無意識には原因があって、恐くて無意識に震えたり、落ち着かなくて無意識にウロウロしたりすることがある理由はいつしか無意識になるのかもしれない。

 

子ども達が理解できない行動をする時はいつも、自分が子供だった頃を思い出したりする。

 

なんで、塀に上りたがったんだろう。

意味もなく、白線からはみ出さず歩いたな。

 

大人になった今「なんで白線からはみ出して歩くの?」と言われても理由はない。

私も理由を忘れてしまった大人になったから。